おいしさを科学する「ニューロガストロノミー」とは何か?入門

当サイト「Minamoca Lab.」の運営者である大嶋絵理奈は、「ニューロガストロノミー研究家」を名乗っている。ニューロガストロノミーとは、直訳すると「神経美食学」であり、食品の科学研究の一分野である。しかし、ニューロガストロノミーは、まだ生まれたばかりの歴史の浅い分野であることから、多くの人にとって馴染みのない言葉であると思われる。

そこで、この記事では、ニューロガストロノミーがどのような研究分野であるかを解説する。

味やおいしさを感じる器官は脳である

ニューロガストロノミー(Neurogastronomy)とは、「Neuro(神経の)」+「Gastronomy(美食学)」の造語である。アメリカ・イェール大学の神経科学者、ゴードン・M・シェファード博士が提唱した言葉だ。神経科学とは、脳で起こっている様々な現象を「神経細胞」などの細胞や分子の視点から解析する学問である。

ニューロガストロノミーの大きなコンセプトは「味やおいしさを感じる器官は脳である」だ。

食べ物の”味”を感じているのは、口の中だと思う人も多いだろう。確かに、口には、甘味・旨味・塩味・酸味・苦味の5つの味覚を感じることができる「味蕾(みらい)」というセンサーが点在している。しかし、一般の人が日常的に使う”味”という言葉は、専門的には「風味」と表現される感覚のことを指している。風味とは、味覚と嗅覚が合わさった感覚だ。

つまり、”味”とは、味覚だけでなく、嗅覚も含まれた感覚なのである。人の嗅覚は、味覚の種類よりもはるかに多い、数百種類の香りを嗅ぎ分けることができる。嗅覚の種類の多さが、さまざまな種類の食材や料理の区別を可能にし、人が豊かな食を楽しむことに役立っているのだ。

たとえば、「牛肉の味」と表現される感覚を生んでいるのは、「イノシン酸」などの旨味成分や、「メチオナール」などの牛肉独特の香り成分である。そして、私たちが牛肉らしさを判断するときには、香り成分のほうを主な手掛かりにしている。その証拠に、鼻をつまんで味覚だけを頼りに肉を食べても、何の肉であるかが分からないだろう。

さらに、味はいつでも同じように感じられるわけではない。たとえば、食品のおいしそうな見た目は、”味の感じ方”に影響する。肉を食べるにしても、暗闇で食べる場合と明るい場所で食べる場合では、味の感じ方が変わるのだ。スーパーの肉コーナーでは、肉の色をおいしそうに見せて購買を促進するために、赤みの強い照明を用いている場合が多い。

他にも、お腹が空いている、体調が優れない、幸せの最中である、肉にまつわる良い思い出がある、など、食べる人個人のその時の体や心の状態、記憶などによっても、味の感じ方は変化する。

味覚や嗅覚、視覚などの五感からの情報、体調や満腹感などの生理状態、嬉しさや悲しさといった精神状態…その全ての情報を統合している場所こそ、脳である。「味やおいしさを感じる器官は脳である」というコンセプトは、このような背景から生まれた。

食べる人の「主観的な感覚」はどう生まれる?

ニューロガストロノミーは、既存のさまざまな研究分野を統合したジャンルである。具体的には、

・食品を栄養素や成分の変化の視点で解析する「食品化学」
・咀嚼や消化、空腹など食べ物と体の状態について研究する「生理学」
・味覚や嗅覚の刺激を受け取る受容体の解析を行う「分子生物学」
・味覚や嗅覚の情報が脳でどのように伝達されるか研究する「神経科学」
・脳が受け取った味の情報をどのように処理するか解析する「認知科学」

などで得られた知見を総合的に用いて研究を行うのだ。

単に食品が何の成分で出来ているとか、味覚の受容体がどのような信号を送るかといった現象の解析に終わらず、「その成分や信号が、人の主観的な感覚にどう影響するのか」という、”食べる人の立場”までを解析することが、ニューロガストロノミーの目指すところである。

同じものを食べても、おいしいと感じる人もいれば、そうでない人もいる。味の成分や味の情報の伝わるルートは同じであっても、人の主観的な感覚(おいしい・おいしくない)は人それぞれ違うのだ。味やおいしさの科学的解明は、味の成分や信号などの「入力」だけでなく、入力情報が脳で統合されて最終的に生み出される感覚である「出力」までを解析して、はじめて完成する。

近年では、AIによってその人好みの食品を提案したり、VRを用いて新しい食体験を提供したりする、食とテクノロジーの融合が期待されている。ニューロガストロノミー研究を通じて、人によって味の主観的感覚に違いが生じるメカニズムを明らかにすることは、味のパーソナライズや、食べる人の食体験の拡張につながるだろう。ニューロガストロノミーは、人の未来の食体験を発展させていく可能性を秘めた研究分野なのである。

執筆:大嶋絵理奈

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