お菓子屋さんや食品売り場では、顧客の食欲を喚起し、購買を促進させるために、店舗空間にわざと「香り」をつけることがある。人は、ある食べ物の香りを嗅ぐと、その食品が食べたくなることがあるためだ。
確かに、コーヒーショップから漂うコーヒーの香りを嗅ぐと、自分もコーヒーを飲みたいと思うことがある。職場や学校で、誰かのお弁当の香りを嗅ぐと、自分も同じお弁当を食べたくなることもあるだろう。
しかし、2019年1月に『Journal of Marketing Research』にて発表された研究によれば、香りの種類や嗅いでる時間の長さによっては、むしろ特定の食べ物を選ばなくさせ、購買促進にとって逆効果になることがあるという。
香りの刺激によって、食べなくても脳を満足させられる?
香りによって私たちの食欲が喚起されるのは、香りが脳を刺激するためである。
好きな食べ物を食べて喜びを感じるとき、人の脳では次のようなことが起きている。
ステップ1)食べ物の味や香りが、「味覚」や「嗅覚」を感じる脳の領域を刺激する。実は、味と香りは同じ脳の領域を活性化させることが知られている。
ステップ2)次に、脳の「眼窩前頭皮質」と呼ばれる場所で、その味や香りの価値判断がなされる。具体的には「価値があるか・ないか」、それと「価値がどれぐらいあるか」が判断される。
ステップ3)「価値がある」と判断されると、脳の「報酬回路」と呼ばれる領域が活性化し、私たちは喜びを感じる。報酬回路は、味覚や嗅覚などの元の刺激の種類は問わず、価値の大きさに応じて活性化の度合いを変える。価値が大きいほど、強く活性化し、喜びは大きくなる。
好きな食べ物を口にして「あーおいしい!」と思うまでの時間は一瞬のことだが、脳ではこれらの反応がすばやく起きているのだ。また、好きな食べ物を「もうすぐ食べられそう」と期待するだけでも報酬回路が活性化することが知られている。
アメリカ・南フロリダ大学の研究者らは、これらの反応を逆手に取ることを考えた。「報酬回路は元の刺激の種類を問わないし、味と香りは同じ脳の領域を活性化させる。ならば、別に食べなくても、好きな食べ物の香りだけでも満足できるのでは?」と仮説を立て、実験を行ったのだ。
不健康な食べ物の香りは、健康的な食品を選びやすくさせる
研究者らは、いくつかの実験を行った。
実験1:中学校の食堂にて
実験1は、中学校の食堂で行われた。食堂の入り口付近で「リンゴの香り」(健康的な食べ物の香り)または「ピザの香り」(不健康な食べ物の香り)を漂わせ、生徒たちに2分以上その香りを嗅がせた。そして、嗅いだ香りの種類によって選ぶ食べ物の内容が変化するかを調べた。
その結果、何も嗅がなかった場合やリンゴの香りをかいだ場合は、健康的なメニュー(サラダや焼き鶏肉など)を選んだ割合が63%程度だったのに対し、ピザの香りをかいだ場合は79%程度に増えた。一方、不健康なメニュー(ホットドッグや揚げ物など)を選んだ割合は、何も嗅がなかった場合やリンゴの香りを嗅いだ場合は36%程度だったのに対し、ピザの香りを嗅いだ場合は21%程度に減った。
つまり、不健康な食べ物の香り(今回はピザの香り)を2分以上嗅いだ場合は、不健康な食べ物を選ぶ割合が下がり、健康的な食べ物を選ぶ割合が増えたのだ。なお、リンゴの香りを嗅いだ場合と、何も嗅がなかった場合では差がなかった。
実験2:スーパーマーケットにて
実験2は、スーパーマーケットで行われた。顧客に買い物カゴを渡すエリアで「イチゴの香り」(健康的な食べ物の香り)または「チョコチップクッキーの香り」(不健康な食べ物の香り)を漂わせ、2分以上を嗅がせるようにした。そして、嗅いだ香りの種類によって購入する食べ物の内容が変化するかを調べた。
その結果、イチゴの香りをかいだ場合は、健康的な食品(果物など)を購入した割合が45%程度だったのに対し、チョコチップクッキーの香りを嗅いだ場合は30%程度に減った。一方、不健康な食品(ケーキなど)を購入した割合は、イチゴの香りを嗅いだ場合は26%程度だったのに対し、チョコチップクッキーの香りを嗅いだ場合は39%程度に増えた。
この実験でも、実験1と同様に、不健康な食べ物の香り(今回はチョコチップクッキーの香り)を2分以上嗅いだ場合は、不健康な食品を購入する割合が下がり、健康的な食品を購入する割合が上がった。
研究者はこれらの結果について詳しく調べるために、ほかの実験も行っている。その結果、実験参加者は食べる前に香りを嗅ぐことで喜びを感じている(つまり報酬回路が活性化している)ことや、鼻の感度が高い人ほど影響を受けやすいことなどが明らかになった。
香りの時間が30秒未満のときは購買促進する
実験1や2から、不健康な食べ物の香りを2分以上嗅ぐと、不健康な食べ物を選びにくくなることが分かった。しかし、香りの時間を短くすると話は変わってくるようだ。
研究者らは、実験参加者に「イチゴの香り」または「クッキーの香り」を2分以上または30秒未満かがせてから、イチゴとクッキーどちらが食べたいかを選ばせた。
その結果、クッキー香りを2分以上嗅がせた場合は、クッキーを選ぶ人の割合が22%程度だったのに対し、30秒未満嗅がせた場合は45%程度に増えた。また、イチゴの香りを2分以上嗅がせた場合は、クッキーを選ぶ人の割合が40%程度だったのに対し、30秒未満嗅がせた場合は28%程度に減った。
つまり、香りを嗅ぐ時間が短い場合(30秒未満)には、その香りがする食べ物を食べたくなりやすいことが分かったのだ。
以上をまとめると、次のようになる。
・人は不健康な食品の香りを2分以上嗅ぐと、不健康な食品を選びにくくなり、健康的な食品を選びやすくなる。
・香りを嗅ぐ時間が30秒未満だと、その香りのする食べ物を選びやすくなる。
香りによる購買促進などを行う担当者にとって、こうした研究結果は店舗設計に役立つことだろう。
また、個人のダイエットにも役立てられる可能性がある。自宅で、クッキーの香りのするキャンドルや芳香剤を香らせておくことで、ついついカロリーの高い食べ物に手が伸びるのを抑え、ヘルシーな食べ物を選ぶようになるかもしれない。香りを利用して満足感を高め、食べ過ぎを防ぐ方法は、食事を我慢するよりも苦痛がなくて取り組みやすいだろう。
執筆:大嶋絵理奈
*みなもかラボTwitter公式もフォローお願いします:@Minamoca_lab